朝ドラ「ブギウギ」に登場する坂口(メッセンジャー黒田有さん)のキャラクターが注目されていますね。
この記事では、坂口の実在モデルである林弘高さんにフォーカス!
- 林弘高さんとはどんな人物だったのか?
- 笠置シヅ子さんとどんな関わりがあったのか?
- ブギウギで坂口を演じるメッセンジャー黒田有さん
についてご紹介します。
ブギウギ坂口(黒田有)のモデル・林弘高はどんな人?
「ブギウギ」に登場する坂口(村山興業の東京支社長)のモデルは林弘高さん!
林弘高さんは、吉本興業創設者・吉本せいの弟。せいさんの息子・穎右の叔父にあたる人物です。
まずはその経歴と業績を紹介します。
林弘高の生い立ちと経歴
1907年2月、林弘高さんは兵庫県明石市で米穀商を営む家庭に生まれました。
姉の吉本せいさんとの年齢差は18歳。
1924年、せいさんの夫が亡くなり、彼女が会社を引き継いだ後、林さんは上京して中央大学法学部を卒業。
社会民衆党の新聞編集を経験しましたが、1928年に吉本興業の東京営業の責任者として迎えられました。
1932年、吉本興行部の改組に伴い、吉本興業合名会社が設立されます。
林弘高さんは東京支社を立ち上げ、支社長に就任しました。ドラマ「ブギウギ」の坂口はこの東京支社長をモデルにしています。
1946年には、林弘高さんは東京支社を吉本興業から独立させ、吉本株式会社を設立し、社長に就任。
多くの劇場や映画館の運営を手がけ、太泉映画を東映に発展させました。
1963年には大阪の吉本興業の社長に招かれ、1971年に喉頭癌で亡くなるまで精力的に活動しました。
吉本頴右と笠置シズ子の仲を取り持つ?
林弘高さんは、笠置シヅ子さんと吉本興業の御曹司、吉本頴右さんのお世話をした人物でもあります。
1943年、戦時下の日本で、歌手の笠置シズ子と吉本興業の御曹司、吉本頴右が出会います。
二人はやがて熱い恋に落ちますが、その関係を支えたのは、吉本頴右の叔父である林弘高さんでした。
シズ子は東京の三軒茶屋に住んでいましたが、1945年の東京大空襲で家を失います。
同じく空襲で家を失った頴右と共に、林弘高の取り計らいで荻窪のフランス人宅に避難し、短い間ですが一緒に生活しました。
終戦後の1946年、頴右さんは早稲田大学を中退し、林弘高さんの下で働き始めることに。
笠置シヅ子さんと頴右さんの同棲生活は自然と終わりを迎えました。
頴右さんの母、吉本せいさんは当初、笠置シヅ子さんとの関係に反対していましたが、笠置シヅ子さんが妊娠すると、林弘高が間に立って事態は好転していきます。
笠置シヅ子さんは頴右さんとの結婚を考え、芸能活動を引退しようとしていましたが、1947年に頴右さんは結核で亡くなりました。
その直後、笠置シヅ子さんは二人の子供、エイ子を出産しました。
林弘高さんはエイ子の名付け親となり、シングルマザーとなったシズ子のサポートを続け、エイ子の世話を申し出るなど、頴右の死後も彼女のことを気にかけていたといいます。
ブギウギ坂口はどんなキャラクター?今後の展開も!
(※ネタバレあり)
林弘高さんをモデルとしている「ブギウギ」の坂口。
登場した当初は、ちょっと怪しげで、ねちっこい説教をする人物ですよね。
視聴者のみなさんも、ちょっと警戒しているのではないでしょうか?
ブギウギ・村山興業の重要人物・坂口の興味深い展開を追ってみましょう。
スズ子と愛助を別れさせようと画策
坂口はスズ子と愛助の交際を知ると、彼らを別れさせようと策を練ります。
彼は「福来スズ子とその楽団」のマネージャー五木にお金を渡し、二人を別れさせるよう依頼。
しかし、スズ子は五木からの「別れたふり」の提案を拒否し、五木は後に姿を消します。
心変わりする!?
一方で、愛助が結核で倒れると、鈴子は彼の看病に専念します。彼女の疲労が明らかな姿と愛助への献身的な態度に、坂口は感銘を受けるように…!
彼は二人のために三鷹に家を借り、共に暮らすことを提案。
また、以前の「福来スズ子とその楽団」の新マネージャー候補だった山下達夫(近藤芳正さん)を正式にマネージャーにするため愛助の母・トミに交渉するのです。
これにより、「福来スズ子とその楽団」は再び活動を再開するという展開になりそうです。
ブギウギ坂口を演じるのはメッセンジャー黒田有!
ブギウギで坂口を演じているのは、メッセンジャー黒田有(くろだ たもつ)さん!
プロフィールや経歴をご紹介しますね。
- 1970年1月29日生まれの日本のお笑いタレント
- 大阪府東大阪市出身で、お笑いコンビ「メッセンジャー」のボケ担当。相方はあいはら雅一。
- 大阪府立布施北高等学校を卒業後、料理店で修業を積み、板前として働く
- その後、大阪NSC10期生となり、1991年にメッセンジャーを結成
- 独特のダミ声と毒のあるキャラクターで、主に関西のテレビ番組で人気を博す。
- 2005年に日本テレビの『バリオク!』で初の東京レギュラーを務め、2007年にはテレビドラマ『誰がパパやねん!』で自身が脚本・主演を務める。
- 俳優・脚本家、歌手・作詞家としての活動をスタート。
- 2009年には、料金支払いを巡るトラブルで逮捕され、芸能活動を自粛するも、2010年に復帰。
- 復帰後は、京橋花月の舞台で自虐ネタを披露し、『それゆけ!メッセンジャー』などのラジオ番組で活躍。
- 『漫才トラディショナル』や『漫才マン』で新作漫才を披露し、テレビにも復帰を果たす。
黒田さんは、コンビ活動だけでなく、ピンでの仕事も多く、司会業も務めています。
料理が得意で、テレビ出演時には和柄風の上着を着ることが多いです。
また、極貧家庭で育った経験から、幼少時代の貧乏話をネタにすることも。
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