2023年4月スタートのNHK朝ドラ「らんまん」。
東京大学の研究室で、万太郎に協力する学生のひとり、藤丸次郎が登場しますが、モデルはいるのでしょうか?
藤丸次郎のモデルと思われる人物についてリサーチしました。
らんまん藤丸次郎のモデルは二人いる?
らんまんで、万太郎が出入りする東京大学の学生・藤丸次郎。
繊細でやさしいキャラクター。いち早く万太郎と仲良くなった学生のひとりですね。
そんな藤丸次郎のモデルとなって実在の人物は二人いると考えられており、それがこちらのふたり
- 田中延次郎(たなか のぶじろう)
(旧姓:市川) - 藤井健次郎(ふじい けんじろう)
どちらも明治時代の植物学者です。
田中延次郎については、牧野富太郎氏が最初に発刊した植物学雑誌で、
「すっぽんたけの生長」という論文を載せていたことから。
出典:J-STAGE
また、藤井健次郎については、まずその名前からモデルにしていることが予想できますね。
藤井健次郎は、植物学者・遺伝学者として名を残していますが、牧野富太郎が大学で窮地に陥った際に、池野成一郎とともに励まし、新しい道を切り開いてくれた恩人でもあります。
そのような観点から、らんまんで登場している藤丸次郎は、田中延次郎と藤井健次郎の二人のモデルを掛け合わせたキャラクターになっているのではないでしょうか。
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らんまん藤丸のモデル候補①田中延次郎
それでは、らんまん藤丸次郎のモデルのひとりと思われる田中延次郎さん。
どんな人物だったのか、経歴や業績について、みていきましょう。
- 1864年4月21日、江戸・千住南組の酒問屋の長男に生まれる。
- 1889年、東京帝国大学理科大学植物学科をに卒業
(在学中に『植物学雑誌』の発行を提唱し、ハツタケなどキノコ2新種に関する論文を発表) - 1889年、田中長嶺と共著で『日本菌類図説』を出版
- 1892年から名古屋の愛知県桑樹萎縮病試験委員などを務める
- 1897年から1年間、ドイツのミュンヘン大学に私費留学し、酵母の研究を行う。
- 1898年~1899年、東京帝国大学理科大学の講師となる
- 1903年、精神病を患い死去。
日本の近代菌類学の創始者のひとりとされる田中延次郎さん。
実家が酒屋問屋という点でも、らんまん藤丸次郎と共通点がありますね。
39歳という若さで精神疾患で亡くなられたのですね。不遇な最期を迎えられたようです。
牧野富太郎と仲が良かった
らんまんの主人公、万太郎のモデルとされる牧野富太郎と、田中延次郎さんは東京大学で知り合い、植物学雑誌を協力して刊行するなど、仲が良かったようですね。
牧野富太郎の自叙伝にも、田中延次郎さんについて次のような記述がありました。
市川延次郎(後に田中と改姓)・染谷徳五郎という二人の男が、当時選科の学生で、植物学教室にいたが市川は器用な男で、なかなか通人であり、染谷は筆をもつのが好きな男だった。私はこの両人とは極めて懇意にしていた。市川の家は、千住大橋にあり、酒店だったが、私はよく市川の家に遊びに行った。
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らんまん藤丸のモデル候補②藤井健次郎
続いて藤井健次郎について、みていきましょう。
藤井健次郎さんは、明治から昭和時代に活躍した植物学者・遺伝学者です。
まずは、藤井健次郎さんの経歴を追ってみましょう。
- 1866年、加賀国金沢城下(現在の石川県金沢市出羽町)で、加賀藩士・藤井平丞の長男として誕生
- 両親を亡くし、叔母に育てられる。
- 1892年、帝国大学理科大学を卒業後、大学院に進み、金沢市の持明院の妙蓮を研究。
- 1895年、帝国大学理科大学の助手となる。
- 1901年、ドイツへ留学し、ボン大学で植物細胞学、植物形態学を学ぶ。その後、イギリスへ移り、植物解剖学、植物化石学などを学ぶ。
- 留学中に、東京帝国大学理科大学助教授に昇任し、1905年に帰国
- 1911年、東京帝国大学理科大学教授となる
- 1918年、日本で初めての遺伝学講座を担当
- 1920年、遺伝物質を「遺伝子」と名付ける
- 1923年頃 私立の徳川生物学研究所評議員に就任
- 1926年、「染色体二重螺旋構造」を発表
- 1929年、国際細胞学雑誌『キトロギア(Cytologia)』を創刊
- 1950年、文化勲章を受章
- 1951年、第1回文化功労者に
- 1952年、1月11日 東京において85歳で死去
そして、藤井健次郎さんの大きな業績のひとつとして、「染色体二重螺旋構造の発表」が挙げられるでしょう。60歳のときでした。
藤井健次郎さんは、細胞の染色体が螺旋(らせん)構造をしており、しかもその螺旋は小さな螺旋がさらに大きな螺旋となった「二重螺旋構造」であることを発表し、染色体の構造を予想しました。
後に電子顕微鏡が発明され、この構造が確認されることとなります。
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持明院の「妙蓮」
また、藤井健次郎さんが大学院時代に研究をしていた金沢・持明院(じみょういん)の蓮の花。
きょうから8月9日まで金沢市の持明院で県指定天然記念物の妙蓮(多頭ハス)が公開されているようです。過去画像 pic.twitter.com/MDm0CeJlx7
— manabu (@manabu16) July 24, 2021
一つの茎先に幾つも花をつける多頭蓮の代表的なものである、この「妙蓮(みょうれん)」について、藤井健次郎さんは次のような特徴をまとめ、発表しました。
その結果、持明院の妙蓮は天然記念物に指定されたとのこと。
- 花群が2つ以上に分かれ、多くの花をつける
- 花弁が1500~3000枚と多くあるのは、雄しべが花弁に変化するという理由から
- 雌しべがないので実を作らない
この蓮は、日本では滋賀県と、持明院でしか生息していない大変珍しい蓮なのだそうですよ。
一度見に行ってみたいものですね。
窮地に追い込まれた牧野富太郎を励ます
さて、牧野富太郎氏との関係もチェックしておきましょう。
牧野富太郎さんは、大学での出入りを許可してくれた矢田部教授から、教室への出入りを禁止されることになります。
研究の場を失ってしまった牧野富太郎氏は、ロシアのマキシモヴィッチ博士を頼ろうとしますが、それもかないません。
そんな途方にくれた牧野富太郎氏に手を差し伸べたのが池野成一郎と藤井健次郎でした。
この二人は、牧野富太郎氏が農科大学の植物学教室で研究ができるように取り計らいました。
参考:日本における植物学の曙
また、牧野富太郎さんが、松村任三氏との仲がうまくいかなくなったときも、力になってあげたようですね。
終わりに大学の植物学教室等の諸君は長い間松村氏が絶えず私を圧迫しつつあった時、いずれも皆私に同情して下さった、中にも五島清太郎博士、藤井健次郎博士は、陰になり日向ひなたになって、私を庇護して下さったので、私は衷心から感謝している。
そして、戦時中の疎開先でもふたりは再会を喜び合い、互いに助け合った様子が残されています。
藤井とは、2 人が勤務した帝大において旧知の仲であった。両家の親密な交流が日記からうかがわれる.藤井家から牧野家へ蕎麦切・うどんなどの食料が届けられたり、牧野が体調を崩した時には、藤井より干ゲンノショウコやアスピリンをもらったりしている。
本当に互いに信頼のおける関係だったことが伺えますね。
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らんまん|藤丸次郎役は前原瑞樹!
らんまんに登場する藤丸次郎について、モデルだと考えられる二人の方をご紹介してきました。
そして、心のやさしい学生・藤丸次郎役を演じているのは、前原瑞樹さん!
前原瑞樹(まえはら みずき)さんは、1992年生まれ、長崎県出身の俳優。
前作の朝ドラ「舞いあがれ!」では、最後の方まで謎に包まれていた「むっちゃん」役を演じ、話題になりましたね。
代表作としては、
- 映画『WHO IS THAT MAN !?』(2013年)
- 映画『帝一の國』(17年)
- NHK連続テレビ小説『ひよっこ』(17年)
- ドラマ『伝説のお母さん』(20年)
- 映画『東京リベンジャーズ』(21年)
- ドラマ『NICE FLIGHT!』(22年)
などが挙げられます。
英語が苦手で、うさぎにやさしい、そんな応援したくなるキャラクター・藤丸次郎ですが、万太郎の生涯の友となってくれるでしょうか?
らんまん第16週では、藤丸次郎にスポットが当てられるかもしれませんよ。
楽しみに見守りたいですね!
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