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らんまん波多野(はたの)のモデルは池野成一郎と染谷徳五郎!どんな人?

2023-07-23

2023年4月スタートのNHK朝ドラ「らんまん」。

東京大学の研究室で万太郎が出会う学生「波多野泰久」が登場していますが、モデルはいるのでしょうか?

らんまんで前原滉さん演じる波多野泰久のモデルと思われる人物についてリサーチしました。

 

らんまん波多野泰久のモデルは池野成一郎と染谷徳五郎

らんまんで、万太郎が出入りする東京大学の学生・波多野泰久(はたのやすひさ)

友達思いで、どんな状況においても冷静に物事を判断できる学生。万太郎の生き方にいち早く感銘を受けたひとりですね。

 

そんな波多野泰久のモデルとなって実在の人物は、こちらの二人です。

  • 池野成一郎
  • 染谷徳五郎

池野成一郎がモデルという説は、らんまん第79回の放送回で、波多野が、画工の野宮とタッグを組んだことから、かなりはっきりしたものになってきました。

というのも、池野成一郎とらんまん野宮のモデルと思われる「平瀬作五郎」は、それぞれイチョウとソテツの精子の発見という業績で、二人一緒に帝国学士院恩賜賞を受賞しているからです。

 

また、「染谷徳五郎がモデル説」については、

  • 藤丸のモデル「田中延次郎」の親友
  • 牧野富太郎氏が最初に発刊した植物学雑誌の構想をよく3人で練っていた

という点から、浮かび上がった人物です。

 

なので、らんまんで登場している波多野泰久は、池野成一郎と染谷徳五郎の2人のモデルを掛け合わせたキャラクターになっているのだと思われます。

 

それでは、2人がどんな方だったのか、みていきましょう。

 

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波多野のモデル①池野成一郎

らんまん波多野泰久のモデルのひとり・池野成一郎(1866-1943)さん。

らんまん波多野(はたの)のモデル池野成一郎

東京駿河台生まれの江戸っ子で、正統的な高等教育を受けた人物です。

池野成一郎の経歴について下記にまとめました。

  • 1866年に最後の堺奉行を務めた旗本・池野好謙(たかあき)の子として、江戸駿河台に生まれる
  • 開成学校、大学予備門を経て東京大学理学部に入学
  • 1890年に東京大学を卒業
  • 1891年に東京帝国大学農科大学教授に就任
  • 東大植物学教室に画工として勤務していた平瀬作五郎のイチョウの研究をサポート
  • 自身はソテツの研究を深め、ソテツの精子を発見
  • 1912年、裸子植物における精子発見が評価され、帝国学士院恩賜賞を受賞
  • 1913年には学士院会員に選出
  • 日本遺伝学会の初代会長に就任ソテツの精子を発見
  • 77歳で逝去

 

平瀬作五郎と共に帝国学士院恩賜賞を受賞

1896年に平瀬作五郎がイチョウの精子を発見しましたが、当時、傍らでその意義を直ちに理解して、世に発信したのは池野成一郎であるといわれています。

そして池野成一郎自身は、ソテツの精子を発見するという偉業を成し遂げます。

 

帝国学士院恩賜賞は、当初池野成一郎一名への授与予定でしたが、池野成一郎が

「平瀬が貰わないのなら、私も断る」

と、平瀬作五郎との同時受賞にこだわり、二人での受賞になったと言います。

 

ふたりの友情というか、信頼関係が伺えますね。

らんまんでは、この二人をモデルにした新たな研究への第一歩が、波多野と画工・野宮のタッグとして描かれたのでしょう。

 

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牧野富太郎の親友

また、池野成一郎は、牧野富太郎の親友としても知られていますね。

池野成一郎は、初めから牧野富太郎に人一倍親切だったそうです。

 

牧野富太郎さんの自叙伝でも池野成一郎はたびたび登場し、仲が良かったことが伺えます。

  • 明治21年(1888年)に大箕谷八幡下でアズマツメクサを一緒に発見
  • 明治23年には東北地方に行き植物採集
  • 「日本植物志図篇」の刊行が矢田部良吉教授の圧迫で続けられなくなったときは、池野成一郎が研究の場を用意するなど尽力した

などのエピソードも。

 

晩年には、入院している池野成一郎(お菓子好き)を喜ばせようと、牧野富太郎さんが手に入りにくい和菓子を買ってお見舞いに行ったら、とても喜ばれたという話も残っています。

お二人は互いに生涯の友といえる関係だったのですね

 

松村任三の妹と結婚

また、池野成一郎は、松村任三(らんまん・徳永助教授のモデルとされる人物)の妹と結婚しています。

妹さんは、若くして亡くなったそうですが、らんまんでは、もしかしたら波多野の結婚エピソードなども描かれたりするのでしょうか?

期待したいですね。

 

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らんまん波多野のモデル②染谷徳五郎

続いて、らんまん波多野泰久のもうひとりのモデル候補と考えられる「染谷徳五郎」さんについて、経歴を追ってみましょう。

  • 1859年(安政6年)4月8日生まれ、本籍は東京
  • 1888年(明治21年)東京帝国大学理学部植物学科修了
  • 1889年(明治22年)より、東京高等女学校、山形県立尋常中学校、陸軍中央幼年学校、東京府城北中学校、東京第四中学校で教鞭をとる
  • 1902年(明治35年)岩手県立師範学校教諭となり、大正6年に病気退職
  • 嘱託として、約1年教鞭をとる
  • その後、東京へ戻るも消息は不明

参考:岩手植物の会会報 №11P.36(1971)

牧野富太郎氏と同時期に東京大学の植物学教室にいた方ですね。

卒業後は、学校の先生となられています。

 

牧野富太郎と植物学雑誌を発刊

染谷徳五郎氏は、牧野富太郎自叙伝にも登場します。

「私の下宿によく遊びにきた友人に、市川延次郎と染谷徳五郎という二人の男がいた。共に東京大学の植物学教室の選科の学生だった。(中略)市川延次郎の家は、千住大橋にあり、酒店だったが、私はよく市川の家に遊びに出かけて、一緒に好物のスキヤキをつついたものだ。ある時、市川、染谷、私の三人で相談の結果、植物の雑誌を刊行しようということになった」

牧野富太郎自叙伝

 

染谷徳五郎は植物学雑誌に、ドラマの波多野と同じ「花ト蝶トノ関係」という論文を書いていますね。

らんまん植物学雑誌

出典:J-STAGE

ここから、大学在学中のらんまん波多野のモデルは染谷徳五郎だと設定されているのだと、考えられます。

 

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らんまん|波多野泰久役は前原滉!

らんまんに登場する藤丸次郎について、モデルだと考えられる二人の方をご紹介してきました。

そして、らんまんで波多野泰久役を演じているのは、前原滉さんです。

らんまんキャストはたのやすひさ

前原滉さんは、1992年生まれ、宮城県出身の俳優です。

 

トライストーン・アクティングラボ(TSAL)』での研究期間を経て、トライストーン・エンタテイメント所属の俳優に。

現在では、若きバイプレイヤーとして大活躍!引く手数多の存在ですね。

 

2018年の朝ドラ「まんぷく」では、“塩軍団”のメンバーの1人として出演し話題になりました。

 

出演作品の一部はこちら↓↓

  • 2016年TBS「わたしを離さないで」フジテレビ「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」
  • 2017年TBS「陸王」、NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」
  • 2018年NHK連続ドラマ小説「まんぷく」
  • 2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」、NHK「正直不動産」、TBS「ユニコーンに乗って」
  • 2023年「ラストマン 全盲の捜査官」
    映画では2016年「シン・ゴジラ」
  • 2020年「とんかつDJアゲ太郎」
  • 2021年「あなたの番です 劇場版」
  • 2022年「さかなのこ」
    など。

 

以上、今回は、らんまん「波多野泰久」のモデルとなった史実の人物についてご紹介しました。

 

らんまんでは、しっかりとした自分の夢を持ち、友人思いのキャラクターである波多野泰久。

万太郎の今後も気になりますが、波多野の活躍も見守りたいですね!

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