2023年4月からスタートの朝ドラらんまん。
いよいよ東京編が始まり、学友・佑一郎との再会から描かれますが、万太郎の学友・広瀬佑一郎のモデルとなった実在人物はどんな方なのでしょうか?
今回は、らんまん・広瀬佑一郎の実在モデル・廣井勇さんについてリサーチしました。
らんまん広瀬佑一郎のモデルは廣井勇!
朝ドラらんまんの高知編では、万太郎が通った名教館で広瀬佑一郎という人物に出会いましたね。
万太郎と佑一郎は、名教館が閉鎖された後に一旦は別れることになりますが、青年になったふたりは再び東京で再会を果たします。
そんな広瀬佑一郎のモデルとなっている実在の人物は、
廣井勇(ひろい いさみ)さんです。
廣井勇って何をした人?
廣井勇さんは、高知県出身の土木工学者。
元東京帝国大学教授でもあります。
明治時代、日本の港湾建設は失敗が多く、世界経済が発展する中、開拓使が進む札幌に近い小樽港に、日本で初めてのコンクリート製外洋防波堤を建設しました。
当時、鉄道と港は経済成長に欠かせないものとなっている中、初代築港事務所長の廣井勇さんは、防波堤に当たる波の強さを測定しながら、コンクリートの強度や性能をテスト。
亀裂の起こらない、強いコンクリートの開発により、小樽港湾の成功が日本各地の港湾建設に採用されたのです。
それにより、廣井勇さんは「港湾工学の父」と言われるようになります。
人一倍の努力で、日本を代表する土木技術者となり、海外からも評価されています。
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廣井勇の生い立ちと経歴
廣井勇は、1862年(文久2年)10月24日に、土佐国佐川村で誕生。
父親は、筆頭家老深尾家の家臣・土佐藩御納戸役を務めている廣井喜十郎です。
廣井家は、名教館の教授を司る家系で、曽祖父は、儒学・算術の学者として名教館で教授を務めていた廣井遊冥。祖父の勘左衛門も儒学者。
廣井勇さんも学問が好きな少年でした。
しかし、明治維新を迎え、家禄が減らされて生活が苦しくなった上に、9歳の頃に父親を亡くし、当主となった廣井勇さん。
生活は困窮していたと言います。
この後の経歴を駆け足でみていきましょう。
- 9歳の時に父(37歳)を亡くし、廣井家の跡取りになる
- 11歳で叔父の所で勉学に励むため上京
- 12歳の最年少で東京外国語学校の英語科に入学
- その後、工部大学校に転入
- 16歳の時、工部大学校の学費方針変更により、より有利な官費生として、生活費まで支給される札幌農学校に入学
- 1881年(明治14年)7月に札幌農学校卒業後、鉄路科に勤務し、北海道初の鉄道工事に携わります
- 開拓使が廃止されると、自費でアメリカに渡り、橋梁技術者として働きながら、英文の橋梁建築の技術書「プレート・ガーター建設法」を発刊
- 1889年(明治22年)に帰国、札幌農学校工学科の教授となり、人材育成にも力を注ぐ
(「廣井山脈」と呼ばれる、優秀な生徒が巣立ちます。) - 1928年(昭和3年)10月1日に自宅で67歳の生涯を終える
(死因は狭心症とされています)
廣井勇の主な功績
廣井勇さんの主な功績はこちらです。
- 1889年 秋田港築港、完成後は、「廣井波止場」と名付けられる
- 1890年 函館港築堤
- 1893年 小樽港開発をスタートし1908年に完成させる
- 1899年 学外出身の学歴ながら東京帝国大学教授となる
- 1919年 土木学会第6第会長となる
その他、
渡島水源による大沼水力発電所、鬼怒川水力電気黒部ダム、広瀬橋、旧豊平橋の設計指導や、カスチリアノの定理を日本に導入等、
数々の功績を残しています。
廣井勇さんは、東京帝国大学の教授を務めていたとき、優秀な生徒を多く輩出。
その多くは、橋梁やダム、河川や水道といった都市計画の部門で活躍、世の中が大きく変化していく歴史の中で近代化に活躍し、成功を収めています。
専門工学の確立者であり教育者でもあった廣井勇さん。
同時に彼は実務家でもあり、晩年には次のような言葉を残しています。
「もし工学が唯に人生を繁雑にするのみならば何の意味もない。これによって数日を要するところを数時間の距離に短縮し、一日の労役を1時間に止め、それによって得られた時間で静かに人生を思惟し反省し神に帰る余裕を与えることにならなければわれらの工学には全く意味を見出すことはできない。」
引用:季刊大林
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らんまん佑一郎のモデル・廣井勇と牧野富太郎の関係
朝ドラ「らんまん」は、植物博士・牧野富太郎氏をモデルとしたストーリーですが、牧野富太郎博士と廣井勇さんはどんな関係だったのでしょうか?
名教館で伊藤蘭林に学ぶ
廣井勇と牧野富太郎は、同郷で同世代という共通点だけでなく、
選ばれた子供だけが通える「名教館」に通い、儒学者の伊藤蘭林に学んだ共通の学歴があります。
名教館は明和9年(西暦1772年)に、佐川領の6代目領主・深尾繁澄(土佐藩家老)が領主一族の子弟を対象とした教育の場として開かれました。
佐川出身の伊藤蘭林は、自身も名教館で学び、名教館の教授となります。
名教館が廃止となった後も、自宅で私塾を営んでいた伊藤蘭林には、1000人を超える教え子がいたそう。
牧野富太郎、廣井勇のほか、明治維新後に宮内大臣を務めた田中光顕や、自由民権運動家で明治維新後政治家となった古沢滋なども伊藤蘭林に学んでいます。
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牧野富太郎と廣井勇の交流は?
名教館で学友であった牧野富太郎氏と廣井勇氏は大人になってからの交流はあったのでしょうか?
牧野富太郎自叙伝には、次の文章が見られるだけで、廣井勇さんと何らかの交流があったことは記されていません。
街には「名教館」という学校があって孔孟の教が教えられ、算数の学が講ぜられなどして、学問も随分盛んでした。当時高知についでの学問地だったのです。
でもその時代は士族とか町人とかの区別が厳しく残っていて、学問は主に士族の間にのみ盛んでした。そして、田中光顕伯、土方寧博士、広井勇博士などの名士を送り出しました。引用:牧野富太郎自叙伝
牧野富太郎氏と廣井勇氏の交流については、実際のところは不明です。
しかし、朝ドラらんまんでは、万太郎と佑一郎の再会が描かれます(らんまん第26話)。
名教館閉鎖後、東京の叔父の元で勉学に励む道を選んだ佑一郎。
万太郎が植物学研究のために上京した際に再会するのです。
同じ年に生まれ、同じ先生に学び、それぞれの道を歩んだ牧野富太郎氏と廣井勇氏。
ふたりの波乱万丈な人生が、同時期に繰り広げられていたかと思うと、なんともロマンチックですね。
牧野富太郎の生家である「岸屋」(現在は「牧野富太郎ふるさと館」)から100メートルの場所にある、元青山文庫の地には、廣井勇生誕地の碑として、廣井勇氏の銅像が建てられています。
令和3年には、地元の佐川町の佐川文庫庫舎敷地内に廣井勇の銅像が建てられました🎉
『らんまん』ブームで高知県佐川町にお越しの際には、土木の偉人・廣井勇像にもぜひ足をお運びくださいね😊#らんまん#牧野富太郎#廣井勇#土木という選択肢 pic.twitter.com/4YZlMKHrep
— 高知県建設業協会 (@kouchikenkyo) April 2, 2023
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らんまん広瀬佑一郎を演じるのは中村蒼
朝ドラらんまんで、槙野万太郎の学友・広瀬佑一郎を演じるのは中村蒼さん。
北海道で土木工学を学び、工部省で鉄道を通す仕事をしているという設定。
中村蒼さんは朝ドラ「エール」にも出演されましたね!
中村蒼さんは今回のらんまん出演について次のようにコメント。
佑一郎は土木の道を進んでいくわけなのですが、互いに刺激し合いながら人生を歩んでいくので2人がどの様に支え合いその関係がどこまで続いていくのかが僕自身楽しみにしています。やはり万太郎を演じる神木さんとは役柄上関わりが多いと思うのでこれから沢山ご一緒できるのを楽しみにしています
本当にふたりがどんな風に支え合っていくのか楽しみです。
佑一郎の子役は?
もう放送は終わってしまったのですが、佑一郎の幼少期時代を演じたのは、子役の岩田琉生くん。
9歳で早くも家督を継ぎ、家族を支えるという覚悟をした凛々しい瞳が印象的でしたね。
今後が楽しみな子役さんです。
⇒ らんまんの子役は誰?名前の読み方は?万太郎や竹雄の幼少期キャストを紹介!
以上、らんまん佑一郎のモデル・廣井勇さんについてご紹介しました。
廣井勇さんをモデルにした朝ドラもできそうなすごい功績を残された方だったのですね。
らんまんにも、佑一郎がたくさん登場することを期待したいですね!
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