2023年前期のNHK朝ドラ「らんまん」のモデルの植物学者・牧野富太郎博士。
牧野富太郎さんの妻といえば、寿衛(すえ)さん、が広く知られていますね。
しかし、牧野富太郎さんには寿衛さんより前に結婚した前妻がいました。
今回は、牧野富太郎さんの最初の妻「猶(なお)」さんについてご紹介します。
牧野富太郎は2回結婚していた!前妻は従妹の猶
「日本の植物分類学の父」と称される牧野富太郎博士。
日本人として国内で初めて学名をつけた新種の「ヤマトグサ」を植物雑誌で発表した植物学者です。
約1500種類以上の植物を命名し、全国で収集した標本は約40万枚にのぼります。
そんな牧野富太郎さんの研究生活を支えたのが、糟糠の妻・寿衛子さん。
牧野富太郎さんを献身的に支えた妻として、牧野さんの年表や自叙伝にもよく登場します。
しかし、牧野富太郎さんには前妻がいました。
寿衛子さんの前に結婚していた最初の妻は
「猶さん」という女性です。
3歳年下の従妹という関係だった猶さん。
牧野富太郎さんの自叙伝に従妹として登場するだけで、最初に結婚していたことはあまり知られていません。
牧野富太郎さんの前妻・猶さんはどんな方だったのでしょうか?
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牧野富太郎の最初の妻「猶」ってどんな人?
牧野富太郎さん最初の妻、牧野猶さんがどんな方だったのか、リサーチしたポイントをまとめてみました。
- 富太郎の3歳年下の従妹
- 子供の頃から牧野家「岸屋」に同居していた
- 師範学校を卒業
- 人柄の良いしっかりした女性
- 祖母・浪子のすすめで富太郎と結婚
- 岸屋を切り盛りしながら、富太郎の研究資金も工面していた
- 浪子の死後、1892年に富太郎と離縁し、番頭・井上和之助と所帯を持つ
- 静岡の焼津に移った後、1950年に東京で没
牧野富太郎さんの前妻・牧野猶さんは、富太郎さんの3歳年下の従妹。
師範学校を卒業した才女で、人柄も良く、しっかりした女性だったと言います。
酒造業を営む高知の裕福な商家「岸屋」で、祖母・浪子さんに育てられた牧野富太郎さん。
由緒ある岸屋を安泰させるために、浪子が猶との結婚をすすめ、富太郎さんがそれを承諾します。
猶さんは造り酒屋のおかみとして店を切り盛りし、優秀な番頭・井上和之助もそれを支えます。
なので、富太郎さんも実家のことをあまり気にせず、研究に没頭することができたようです。
しかし、牧野富太郎さんが研究のために要求する大金を工面するために、岸屋の経営は傾いていきます。
実家からの仕送りがなくなり、実家に戻った富太郎さんは岸屋の経営状況を把握し、愕然とします。
猶さんと番頭の和之助さんを結婚させ、岸屋とその借金を任せることにしたのです。
その後、猶さんと和之助さんは岸屋をたたんで醤油屋を始めましたが、間もなく静岡県の焼津へと移ります。
そして猶さんは、1950年に東京で亡くなったといわれています。
⇒ らんまん竹雄のモデルは2人いる?岸屋番頭の史実をリサーチ!
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牧野富太郎の最初の妻「猶」は寿衛子とも交流があった?
牧野富太郎さんの前妻・猶さんについては、
朝井まかてさんが描く富太郎さんの評伝「ボタニカ」にも詳しく書かれています。
著者の朝井まかてさんは、富太郎さんの前妻・猶さんについて、資料や記録が少なく、想像力を働かせて書いたと、牧野富太郎生誕160年講演会でも語っておられました。
朝井まかてさんが拠り所とした資料は、
猶さんは、富太郎さんと夫婦別れをした後も、牧野一家と交流があり、東京の家にも来たことがある
という記録。
猶さんはとても面倒見の良い人で、富太郎さんの子どもたちに、心づくしの物を送ったりしたこともあるとのこと。
実際に富太郎さんが猶さんと婚姻関係にあった時代に、寿衛子さんは妾という立場で富太郎さんの子どもを産んでいます。(明治時代では不思議なことではありませんでした)
⇒ 牧野富太郎夫人・寿衛子ってどんな人?出会いからスエコザサのエピソードまで
現代の考え方からすると、二人の仲は良くなさそうと思いがちですが、
猶さんと寿衛子さんの仲は、決して険悪ではなく、お二人とも度量の大きな方だったのですね。
こんな奥さんたちに支えられたからこそ、牧野富太郎さんの功績もより輝くものになったのだと思います。
⇒ 牧野富太郎に姉はいない!家族構成は?らんまん綾のモデルは従妹の猶?
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