2023年前期の朝ドラ「らんまん」は植物学者・牧野富太郎博士をモデルとしたストーリー。
らんまんでは歴史上の人物・ジョン万次郎が登場し、主人公の万太郎に大切なことを伝える役割を果たしますが、
史実では、牧野富太郎さんとジョン万次郎との交流はあったのでしょうか?
ふたりの関係や接点を調べてみました。
牧野富太郎とジョン万次郎の関係は?接点はある?
朝ドラらんまんでは、植物学の道と実家の家業のはざまで揺れる主人公・万太郎がジョン万次郎が出会うことで、自分の道を決めるという重要なシーンが描かれます。(らんまん第4週)
ジョン万次郎とらんまんのモデル・牧野富太郎。
土佐が生んだ偉大な人物という共通点はありますが、実際に史実としてふたりの交流はあったのでしょうか?
関係を調べてみたところ…、
直接の接点はなし
史実として、牧野富太郎さんとジョン万次郎が出会い、交流したという記録は残ってないようです。
ふたりの年齢差は35歳、ジョン万次郎が年上です。
- ジョン万次郎⇒1827年生まれ
- 牧野富太郎 ⇒1862年生まれ
「らんまん」でふたりの出会いが描かれるのは、万太郎が自由民権運動に携わる20歳の頃、西暦1882年頃です。
そのころのジョン万次郎さんは、実際どのような生活を送っていたのでしょう?
ジョン万次郎さんの経歴を駆け足でまとめてみます。
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ジョン万次郎の経歴をおさらい
14歳のときに漁に出て遭難。数日間の漂流後、無人島生活を送り、アメリカの捕鯨船に助けられた万次郎。
アメリカ本土で勉学を学び、帰国。帰国後は通訳などで活躍し、日米の架け橋となりました。
その後も捕鯨活動、小笠原開拓、開成学校の教授を務めるなど、精力的に活動。
1970年、普仏戦争視察団としてヨーロッパへ派遣、ニューヨークに滞在し、恩人であるホイットフィールド船長に再会しましたが、
1971年、ロンドンから帰国後病に倒れます。
軽い脳溢血を起こし、数か月後には回復しますが、その後は静かに暮らしたとのこと。
1898年、71歳で死去。
ということで、「朝ドラ」らんまんで、万太郎と出会う1880年頃は、ジョン万次郎さんは静かに暮らしていた時期ということになります。
(静かに暮らすといっても、1888年にも小笠原諸島近海で航海を行なっていた可能性があるとのこと、やはりすごい方ですね。)
その頃、住居は東京に移されていますから、土佐で自由民権運動に参加する牧野富太郎と交流するとはちょっと考えにくいですね。
なので、「らんまん」ではやはり坂本龍馬との出会いのように、創作演出でジョン万次郎を登場させたといってよいでしょう。
⇒ 牧野富太郎と坂本龍馬の関係は?接点はお酒?らんまんモデルの史実をリサーチ
ジョン万次郎と板垣退助の関係は?
土佐の人々だけでなく日本中の方々に影響を与えたジョン万次郎。
直接の交流はないにしろ、ジョン万次郎は、同じ土佐の地で生まれた方ですから、牧野富太郎氏も、文献・書籍や、周りの人々からの伝聞で、ジョン万次郎のことを知っていたはずです。
例えば、これまた高知出身の偉人・板垣退助とジョン万次郎の関係はどうでしょうか?
板垣退助をリーダーとする自由民権運動に携わる中で、何かしらの手段で牧野富太郎とジョン万次郎がつながった可能性もなくはありません。
調べてみたところ、
板垣退助とジョン万次郎が会ったことがある、という記録はありませんでした。
ただ、ジョン万次郎が土佐で伝えたアメリカのデモクラシー(民主主義)の思想は、板垣退助の思想や行動に多大に影響を与えたのではないでしょうか。
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「らんまん」ジョン万次郎役は宇崎竜童
さて、朝ドラ「らんまん」では、第4週後半に宇崎竜童さん演じるジョン万次郎が登場。
万太郎に大切なことを伝えます。
ちょっと憂いを漂わせるジョン万次郎は、万太郎にどのような足跡を残すのでしょうか?
こんな風にドラマの中に歴史上の偉人が出てくると想像力がかきたてられて、面白いですね。
もしかしたら記録に残ってないだけで、この偉人同士の奇跡的な出会いが本当にあったのかもしれません。
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