2023年10月にスタートした朝ドラ「ブギウギ」。
ヒロイン鈴子が入団した梅丸少女歌劇団には、「大和礼子」という先輩であり大トップの人物が登場しますね。
今回は
- 「大和礼子」の実在モデルは誰なのか
- その人はどんな人だったのか
についてまとめました。
ブギウギ|大和礼子のモデルは飛鳥明子!
NHKの朝ドラ「ブギウギ」に登場するキャラクター、大和礼子。蒼井優さんが演じていますね。
大和礼子は「梅丸少女歌劇団(USK)」の1期生で、歌劇団の娘役トップスターとして活躍しているという設定。
トップスターであるがゆえに孤独。
静かだけれど、意地とプライドもあるという大和礼子。
そんなキャラクター大和礼子の実在モデルは、
飛鳥明子という人物であると考えられています。
さっそく、どんな方なのか、みていきましょう!
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ブギウギ大和礼子のモデル・飛鳥明子はどんな人?経歴は?
それでは、ブギウギで蒼井優さんが演じる大和礼子のモデル・飛鳥明子のプロフィールや経歴などをチェックしてみましょう!
飛鳥明子のプロフィール
飛鳥明子は、1907年に開業医の娘として生まれ、高等女学校を卒業後、松竹楽劇部に入団。
松竹楽劇部1期生として、初代トップスターとしてその名を刻んでいます。
娘役として舞台に立ち、その美しさと才能で多くの観客を魅了した飛鳥明子。
松竹座の初代プリマドンナとして、また「天才舞踊家」や「ダンスの神様」としての伝説を残しています。
飛鳥明子の経歴|桃色争議後はどうなった?
飛鳥明子さんの経歴をみてみましょう。
1922年、松竹楽劇部の創立時から飛鳥明子は看板スターとして活躍。
しかし、1933年に東京で発生した「桃色争議」と連携して決起した労働争議の責任を取る形で引退します。
(飛鳥明子が松竹楽劇部を退団した後は、アーサァ美鈴と柏ハルエがその地位を引き継ぎ、看板スターとして活躍しました。
1937年、飛鳥明子は、29歳の若さで亡くなりました。
原因については、情報が得られずご紹介することはできません。
また何かわかり次第追記したいと思います。
飛鳥明子の人柄は?
飛鳥明子の稽古や舞台に対する姿勢は非常に厳しいものでした。
その姿勢について、SSK(東京松竹少女歌劇)の1期生で戦前にスターだった水の江瀧子が語っています。
彼女は稽古熱心であり、その努力がOSKの芸風を築き上げることにつながっています。
飛鳥明子はトゥダンスを得意とし、関西クラシックバレエの先駆けとしての存在でした。
美を追求し、常に舞台のことを考えていたと言われています。
また、足がむくむことを嫌い、休憩時間には足を上げて休むなど、足のケアにも気を使っていました。
1930年の「春のおどり」公演パンフレットには「われらのすたあ」というタイトルで彼女の写真が掲載されており、その存在感は圧倒的です。
「血がにじむまで稽古に明け暮れた」と言われた飛鳥明子さん。
美しい松竹楽劇部の初代スターだったのですね。
桃色争議で、引退を余儀なくされ、また29歳という若さで亡くなってしまったこと、残念でなりません。
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飛鳥明子と笠置シヅ子との関係は?
さて、ブギウギのヒロイン鈴子は、笠置シヅ子さんをモデルにしていましたが、
史実において、笠置シヅ子さんと飛鳥明子さんの関係はどうだったのでしょうか?
OSKの第1期だった飛鳥明子さんですから、笠置シヅ子さんの先輩にあたりますよね。
おそらく、ブギウギで描かれるように、笠置シヅ子さんにとって飛鳥明子さんは、憧れの存在だったのではないでしょうか。
笠置シヅ子さんは自叙伝において、飛鳥明子さんのとのエピソードをひとつ振り返っていたので、ここにご紹介します。
笠置シヅ子さんの、松竹楽劇部での初舞台の際のことです。
まだトノコ(砥の粉)を使うのを知らず、顔も体も粉屋の化け物のように真白に塗って、ジョーゼットのボカシの衣裳を着て出ると、
「なんや、その恰好、白壁が歩いているようなもんや」
飛鳥さんに笑われたのを覚えています。
なんだか、ほのぼのとしたエピソードで素敵ですね。
異常、朝ドラブギウギの大和礼子のモデル・飛鳥明子さんについてお伝えしましたが、ブギウギでは蒼井優さんが大和礼子を演じます。
蒼井優さん演じる大和礼子はブギウギ第2週第6話から登場です!
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