クライマックスに近づいてきた朝ドラ「らんまん」。
第24週では南方熊楠とのエピソードも描かれますね。
今回は、
- らんまんにおける南方熊楠役キャストは誰なのか?
- らんまんの主人公のモデル牧野富太郎と南方熊楠の関係
などをリサーチしました。
らんまん|南方熊楠役は誰?キャストは?
朝ドラらんまんでは、植物学者の牧野富太郎博士をモデルとした主人公・万太郎のストーリーが展開されていますね。
その牧野富太郎氏と同じ時代を生きた博物学者・南方熊楠氏の登場をらんまんで期待している方も多いのではないでしょうか?
実は、南方熊楠が関係するエピソードはらんまん第24週で描かれることになっています。
らんまんで南方熊楠役を演じるキャストが気になりますが、
南方熊楠役を誰が演じるかは、発表されていません。
NHKは最近、らんまんの「最終章を彩る人々」として新キャストを数人発表しましたが、その中に南方熊楠役のキャストはありませんでした。
したがって、らんまんでは、南方熊楠が関連するエピソードは展開されるものの、南方熊楠というキャラクターは、残念ながら登場しないものと予想されます。
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南方熊楠と牧野富太郎の関係は?
らんまんで描かれる南方熊楠のエピソードを楽しみにしつつ、ここでは史実に目を向けてみたいと思います。
南方熊楠と牧野富太郎。
かつて、借金地獄に陥っていた牧野富太郎氏に救いの手を差し伸べた恩人・池長孟氏は、尊敬する人として、博物学者の南方熊楠氏と牧野富太郎氏のふたりの名をあげたそうです。
南方熊楠とはどんな人?
南方熊楠さんは、1867年(慶応3年)4月15日に現在の和歌山県和歌山市寄合町で生まれました。
実家は酒造業を営んでおり、少年時代には「本草網目」や貝原益軒の「大和本草」などを読み筆写したといいます。
明治17年に東京大学予備門に入学したものの、授業には出席せずに小石川植物園で自学しました。
その後、
- 明治19年、予備門を退学
- 明治20年~33年、米国と英国に私費留学
- 帰国後は和歌山県田辺町で民俗学を展開
- 菌類の研究も行い、自宅の柿の木から新しい属の粘菌を発見
- 昭和4年、昭和天皇にご進講を行う
- 昭和16年12月29日に死去(74歳)
という経歴をたどっています。
南方熊楠と牧野富太郎の共通点
南方熊楠氏の経歴をざっと追ってみると、牧野富太郎氏との共通点がいくつか見つかりましたね。
- 地元の造り酒屋の息子であること
- 青年時代に本草学書の写本を通して、植物学の研究を開始したこと
- 独学によって関心分野を探求する姿勢
- 昭和天皇にご進講を行ったこと
など。
こんなにも共通点を持つふたりが同じ時代に生きていたことは興味深いですね。
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南方熊楠と牧野富太郎の出会いはなかった
南方熊楠さんと牧野富太郎さんの年齢差はわずか5歳(熊楠さんが年下です)。
ふたりは当時ライバルだと認識されていたという話もあります。
南方熊楠さんと牧野富太郎さんは、幾度となく会う機会があったものの、行き違いなどもあり、結局生涯で一度も会うことはありませんでした。
らんまんに南方熊楠役のキャスト発表がなかったのも、このためかもしれません。
大正13年9月に、牧野富太郎氏が植物採集のため、南方熊楠の自宅がある田辺町に滞在したことがありましたが、ふたりが直接会うことはありませんでした。
当時、周囲からはふたりがライバル関係で、互いに強く意識していたため、会うことを拒んだと受け取られていたそうです。
しかし、近年になってその考え方が変わってきました。
会うことを拒んだのではなく、南方熊楠さんは富太郎氏に会うことを楽しみにしていたけれども、長男の病気など、生活における余裕のなさから、やむを得ず会いに行けなかったというのが真実ではないか、と考えられています。
また、南方熊楠さんと牧野富太郎氏が互いに尊敬し合っていることがわかる往復書簡が残されていることもわかっています。
「ふたりがもし出会っていたら…?」
そんなことを想像すると、なんだか楽しいですね。
さて、らんまんでの南方熊楠エピソードはどのように展開されるのか、こちらも楽しみですね。
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